モラ夫と離婚したアラフォーOLの人生立て直し計画

モラハラ夫と離婚したアラフォーOLが人生の立て直しを試みる日々の記録。モラ夫と別れてからもモラ夫への恨みつらみが晴れないアラフォーOLのお焚き上げ兼回顧録。

別居中の思い出

モラ夫との別居は、結局2年間で終了しました。

帰ってきたのは最初の3ヶ月だけ。

帰ってこなくなるというのは、出ていく前から分かっていたことです。

なので「帰ってきて」とは言いませんでした。

 

生活自体は出て行ってくれた事により劇的に楽になりました。

新しい仕事は、安月給のくせに激務で、残業に追われる毎日。

正直、この時は忙しいことがありがたかったです。

 

忙しい間は何も考えずに済みましたし

休みの日もたまった家事をしたり、仕事の疲れを癒したり。

 

私は、自分にはちょっと難しい、とか、

ややキャパシティを超えているかな…?!という仕事が好きで

別居中についた職場はかなり自分には合っていたと思います。

 

モラ夫によって削られた自尊心が、仕事で認められていく度に

どんどん回復していくのが分かりました。

 

当時働いていた会社は、地場大手の企業。

そこの契約社員の募集が大量にあったのでもぐりこんだ形です。

 

正社員の人たちはあまり挫折を知らない

いわゆる地元の勝ち組で、この人たちがまぁ、

ヒネたところのない、育ちのよい人たちが多くて。

業務に関するやり取りは気を抜くと痛い目にあうこともありましたが

一旦仕事を離れると会話も面白くて話が合う人ばかりで。

職位による上下関係はもちろんありましたが

人としての上下関係(?)を強要されることもなく。

モラ夫からは日々マウンティングされ、

主従関係を強要されるような日々だったことを思うと

天国のようでした。

 

飲み会も頻繁にありましたが、とにかく楽しい。

しかもモラ夫の都合を気にしなくてよい。

 

そんな日々を過ごすうちに結婚前の自分に戻れたような気がしました。

 

 

ただ、つらかったこともあって。

私はわりとため込むタイプ。

結婚生活がうまくいっていないということは

当然会社の人には話していませんでした。

会社の人だけでなく、実家の両親にも言えませんでした。

 

なので会社の人たちと、家庭の話をするときなんかは

古いエピソードをさも最近の話のように伝えたりとか

ごまかしながら付き合うのは思った以上にしんどかった。

 

それ以上にしんどいのが両親です。

元々モラ夫は私の実家とはあまりかかわろうとしていませんでした。

「仕事が忙しい」という体でモラ夫が「たまたま」休日出勤している、

とか「出張に行っている」などとごまかしていました。

ただそれもつらくて、別居中はあまり実家に帰ることができませんでした。

 

それでも実家に帰る必要のある日があります。

そう、お正月。

 

2年別居したということは、当然2度のお正月を乗り越えています。

 

ここでは

「年末年始の休みが短いのでそれぞれお互いの実家に帰ることにした」

という理由を2年連続で採用。

 

モラ夫と一緒に帰省すると、モラ夫の実家には1泊2日、

私の実家には2時間の滞在という風にモラ夫に割り振られていました。

が、一人で帰ると好きなだけ実家でくつろぐことができました。

なので両親もイライラした人が2時間滞在するよりも

リラックスした娘が長時間実家に滞在することを喜び、

モラ夫が帰省しないことを深く突っ込むことはありませんでした。

 

ここだけですね、モラが役にたったのは。

 

2年、別居生活を送り、精神的には回復してきましたが

経済力は全く改善しませんでした。

貯金が増えないんです。

安月給なのにストレスで使ってしまうんですね。

 

もちろん別居状態のストレスが一番大きいんですが

 

仕事の方もパワハラ寄りの上司とのやり取りがきつくなってきたり

辞めた人の仕事が丸々振られて、

業務量が増えすぎて捌けなくなったと訴えても何の対策もしてもらえなかったり。

 

月40時間残業して、残業手当が3万円程だったんです。

これはちょっと割に合わない。

残業ありきで考えるなら基本給をもっと上げたい。

今の会社では正社員に昇格するシステムが機能していないし

幸いにもマトモな求人が増えてきている。

 

これは転職のタイミングだ。

となれば次の職場に移るまでに、 モラ夫との縁を断ち切ったほうがよい。

 

そう考えだしたころ、モラ夫から一通の手紙が届きました。